「ホンダ」永遠の新興メーカー、ホンダの販売史

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ホンダは戦後の1946年に誕生したメーカーです。

また、創業者の本田宗一郎氏のバイクレースやF1参戦などチャレンジングな姿勢や独創的な技術や斬新な商品でも有名です。 二輪から四輪まで幅広い分野の開発が行え、最近は航空機開発にも乗り出し、販売も好調です。

ホンダのホームページにもチャレンジの50年というページが存在します。 その姿勢や商品開発には学ぶべきものが多くあります。

ホンダリコールに見る創業当時の熱気

エアバッグやその後のブレーキの問題とリコール。 ホンダもコストダウンによる弊害があるのではとの推測もささやかれています。

コストに関する話がホンダのホームページにも掲載されております。

スーパーカブの開発に際して藤澤さんは市場にふさわしい商品価格を、本田さんに前もって提示していたのですが、 技術者の本田さんは妥協できないところはどんどん直すので当然コストは上がります。

そこで、商品価格をあげるのではなくそのままにして、月1000売るところを3万台売れば採算が取れるとして販売してしまいました。

商品価格に応じるためコストを削減するのではなく、販売数をあげることで問題を解決してしまいました。

もちろん、日本国内では飽和状態なのでこれ以上は車は売れません。

そこで、例えば経済産業省のホームページにアフリカなどの新興国で自動車販売を行ったらどうか、という報告書があります。

これは一例ですが、もともと企業は利益追及の組織なのでコストを削減するより、販売を増やすことに意識を集中するべきと考えます。

ホンダのリコールは創業当時の熱気を思い出すのに最適ですね。

異色のホンダバイク「ホンダ・ジャズ」

ホンダといえば車というよりバイクメーカーとして出発したのが有名ですね。

昭和21年(1946)、創業者の本田宗一郎氏が、陸軍で使用していた無線用小型エンジンを改良し自転車に取り付け試走したのが、もともとの始まりです。

原動機付き自転車いわゆる原付の代名詞ともなった「スーパーカブ」も有名です。

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もともとバイク特に原付に縁があるのです。 原付というとスクーターやカブを思い浮かべるのでしょうが、少々変わった原付をホンダは過去発売していました。

それが1986年に発売された「ホンダ・ジャズ」と呼ばれる本格的アメリカンスタイルの50ccスポーツバイク です。 外観デザインは、美しいラインのティアドロップ(涙滴)型フューエルタンクや低いシート高、長いホイールベース、前方に長く傾斜したフロントフォークなどの採用により、50ccながらファッショナブルな本格的アメリカンイメージを満載したスポーツバイクとなっていました。

原付というよりバイクと呼んだ方がふさわしい外観です。 排ガス規制の影響で1999年に生産は中止されました。 全く同じではなくても良いのでこう言った面白いラインナップもどうかと思いますね。

「Nバン」いよいよ復活するホンダのバン

2018年の今年にホンダ Nバンが発売されます。

元々、ホンダは1970年代からアクティシリーズでトラックとバンを販売してきました。

両方とも1999年に一旦新モデルの販売をやめトラックのみ2009年に新モデルを発表していました。

命名の由来はホンダのホームページに掲載されています。

ACTY:英語の「ACTIVE(活動的な)」からの造語です。 仕事にレジャーにいつもキビキビ働いてくれる車という思いを込めて命名しました。 とあります。

2000年から排出ガス規制が施行されたので、軽乗用車などにその影響があったのかもしれません。

Nバンは6速MTまで用意されています。

Nバンは軽商用バンとして「仕事にレジャーにいつもキビキビ働いてくれる車」というアクティの意志を受け継ぐホンダらしい車です。

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日本らしいホンダ バイク「モトコンポ」

モトコンポとはコンパクトカー「シティ」(初代)のトランクルームに積める折りたたみ原付です。

2.5馬力の2ストロークエンジンを搭載しています。

トランクルームに積めるコンパクトな設計のバイクで当初は車のおまけと誤解されていました。

二輪と四輪を同時に開発できるのはどちらも開発力があるホンダならではのことでした。

また、重厚長大なものをコンパクトにまとめるという日本人らしいものづくりとも言えます。

発売当初は斬新すぎて廉価販売されたのですが、その後人気がでて今でもオークションなどで取引されています。

また、同じようなコンセプトの折りたたみタイプの電動スクーターがドイツのBMWなど海外メーカーから発表されています。 ホンダにもモトコンポの新しいモデルを期待したいですね。

ホンダカーズに見るホンダの販売史

ホンダカーズは2006年3月1日にプリモ店、クリオ店、ベルノ店がそれぞれ専売車種を持つ形態から全車種併売へと移行しました。

そこで名称を分ける必要性がなくなったため、同年7月13日に一部ディーラーを除きホンダカーズに統一しました。 元々ホンダは戦後に誕生したメーカーです。

当時、日本はモータリゼーション、自動車化以前の段階だったので一般の流通量は少なく国策で国などから受注し、生産するメーカーが多かったのです。

ホンダはスーパーカブの販売などに際して商品を店頭におき、売れたぶんだけ売り上げをもらう今日主流の委託販売方式を取り入れました。

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元々原付など二輪から出発し四輪など多くの車種、モデルを販売していて、販売方式も日本メーカーとしては変わっていたので、販売チャンネルが多かったようです。

この中で四輪の販売網を統一したのが「ホンダカーズ」です。

ホンダの販売網は四輪販売店がホンダカーズで他に二輪販売店がホンダドリームと大別できます。

「ホンダらしさ」航空機開発の難しさとそれを突破したホンダジェット

最近報道でも好調さを取り上げられるホンダジェット。

ここ最近の話題と見られがちですが実は30年にわたる研究開発があったのです。

元々航空機は自動車以上に労働集約的な産業で部品点数もはるかに多く、空を飛ぶため安全基準も厳しいものとなります。

ホンダは元々自動車メーカーで他の自動車メーカーと違って戦前からの繋がりもなく、例えば三菱のように三菱飛行機から三菱航空機などの流れも一切ありません。

航空機をまったくのゼロからの開発で30年というのは確かにそれくらいかかります。

しかも、ジェットエンジンも自前の開発となればなおさらです。

ジェットエンジンなどは非常に高熱になるので材料工学一つをとっても研究と蓄積が必要です。

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さらに機体設計による航空力学など自動車分野以外の研究開発も多く行わなければいけません。

よく比較されるように三菱のMRJも納期遅延が話題になりますが、航空機開発には実際にそれくらいかかるものなのです。

ただ、航空機部門もなくまったくのゼロから航空機を作るというのはホンダらしさが現れています。

まとめ

ホンダは戦後の復興期から高度経済成長を通じて発展してきたいわば戦後の日本を体現したメーカーです。

何もないところゼロからの開発も多くそれが商品や販売にも反映されています。

もはや戦後ではないといわれてしばらくたち平成ももはや終わりに近づいています。 製造業などにも閉塞感がまだ多く残っています。

ホンダの歴史を通じてゼロイチの開発やそれを実現した精神を今一度見直してはどうでしょうか。

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